私の子供の頃には英語の勉強が始まるのは中学一年生からであって、田舎だったために、外国人は一人もおらず、周りに私立の学校も全く無かったため、中学一年生になるよりも前に英語の勉強をすることなど考えられなかった。
ところが、小学三年生くらいの頃だったと思うが、当時定期購読していた月刊の学習雑誌「小学×年生」(小学館?)のどこかに、カセットテープを使った英語教材の広告が載っていて、それにつられて親に頼んで買ってもらったのが私の英語学習の始まりであった。最初は初めて手にしたカセットテープレコーダーも含め、新しいことへの興味もあってよかったのだが、すぐに飽きてしまい、覚えているのは、Tomとか Annとか言う登場人物、an appleのような不定冠詞付きの果物の名前、What’s this?程度の疑問文が出てきたことくらいである。恐らく、ひと月も経たないうちに終わってしまった。
さて、月日は少し経ち、小学六年生に上がる頃だったか、近所で、アメリカの大学に留学経験のある若い女性が英語の学習塾を開くという噂を母づてに聞き、同級生数人と入塾した。この時は自分から積極的に英語を勉強しようと思ったわけではなく、割と仲の良かった友達が入るというのにつられてのものだった。使われた教材は中学校一年生向けの教科書”New Horizon English Course”(東京書籍)だったが、Horizonはずーっと”ホリゾン”と読むのだろうと思っていた。(そもそも、この単語は教科書に出て来なかった。)そしてたまに副教材としてNHKの「基礎英語」。ラジオを聴くように言われたが、当時はタイマー付の録音機器を持っておらず、聞き逃したらおしまいということもあって、ほとんど聴いていなかったように思う。ただ、名前が珍しかったので、マーシャ・クラッカワーという女性が出ていたことは覚えている。この塾は気に入り、きちんと通っていたのだが、もうすぐ小学校を卒業という頃に、塾の先生がまた何処かに留学に行くということで終わってしまった。ただし、この塾で習ったおかげで、中学一年生の時には家で勉強をする必要はほとんど無く、テストでも良い点が取れた。
それ以降、大学の教養課程での英語に至るまでは授業と家での勉強(予習・復習やテスト勉強、受験勉強)を普通に行っていたが、専門課程に進むと語学の講義が無くなり、ストップした。学校での英語の成績はどうだったかと言うと、中学校の時は良く、高校の時はまあまあ、大学の時は普通かそれ以下だった。ただ、勉強とは言えないが、大学の卒業記念旅行に海外(ヨーロッパ)に行くことになったので、直前に6か国語会話集を買い、使えそうな文をチェックしたり、行きの機内で覚えようとした。この後の英語学習は、就職後間もなくのTOEIC(現在のTOEIC L&R)対策からとなる。
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